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1. サイトの背景

リベラル・アーツと教養

年が改まったところで当サイトのタイトルも改め、また、サブタイトルへ新たに「リベラル・アーツ」の言葉を加えることにしました(*)。この「リベラル・アーツ」、日本ではよく「教養」と同じように言われ、実際、例えば東京大学でも、教養学部の卒業生に「学士(教養)」の学位を授与する一方、英語では「Bachelor of Liberal Arts」として卒業証明書等に記されたりします。

ただ、ひとたび「教養」と聞くと、浮かんでくるイメージとしてありがちなのは、文化(文学、演劇ほか)や歴史などの一般常識が備わっていることではないでしょうか。社会人なら、人によっては、これに経済・経営関係の基本原理や時事問題まで含めて考えられるかもしれません。とはいえ、大まかには、いずれも “知識” の範疇にあるもの、ということは言えそうです。

他方、「Arts」となると、例えば美とか、もしくは「Martial Arts」と言った時の武とか、つまるところ “” -スキルや技芸といったものに近く、「教養」の “知識” 中心のイメージとは少し隔たりがあるようにも感じます(※)。

では、そもそもリベラル・アーツとは何なのでしょうか。元々は、はるか昔の欧州で、奴隷ではない自由人として生きていくための術とされたことに由来するようです。後に、いわゆる自由七科へまとめられ、このなかでも基礎とされたのが、文法、修辞、論理学の三学です(ちなみに、それ以外の四科として、算数、音楽、幾何、天文)。

この辺り、現代の大学教育にも言えることで、論理的、批判的に考える力は、大学生が備え、磨いていくべき重要な術と思われます。そしてまた、物事の判断に際し、好き嫌いといった感情で決めたり、あるいは、そういう慣例だから、道徳だから、などと片付けたりしてしまうのは、大学生(+大卒者)に本来そぐわない姿勢でしょう。既成概念・観念にとらわれず、ロジック(論理)とエビデンス(根拠)に基づいて、どれだけ考えられるか…そこに、真価が問われてくるのではないでしょうか。

今日の日本において奴隷制は存在していませんが、例えば、先だって当サイトでふれたように、財政悪化を止めないまま高齢者への優遇も止めず、さながら「老人支配」の国とも呼べそうな社会状況が長らく続いてきています。高齢世代の権益は概ね保護したまま、(ただでさえ他の主要国より低い割合の)大学ほか教育関連の公的支出をさらに絞ろうとされたりして、相対的に虐げられている若年層ですが、将来、彼らが高齢になる前に、今なお国債など濫発して膨らみ続けている政府債務も限界を超え、いずれ、そのツケの清算にも苦しめられだすかもしれません(こうして広く社会レベルで見た場合だけでなく、家庭レベルでも、親から隷属的に扱われる子がいたりしますが、その点については今回は踏み込まず、また改めてとりあげます)。

生まれついた境遇や血縁にも、はたまた国境にも縛られず、ただ自分の才能と努力(+実績)をベースに自由な人生を歩めるよう-そのためのリベラル・アーツが大学で育まれることを願います。

※ この点、先に述べた大学の学位に関しても、学部(学士課程)ではともかく、大学院の修士課程では、「修士(学術)」と称する学位に英語では「Master of Arts」と記すなどの対応が見られます。

* 2016年9月1日 追記: 「成長するアジアで生きるリベラル・アーツ」としていたサブタイトルを、他へ再変更しました。

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