ASEANの展開

投稿者: | 2015年12月13日

1997年、タイの通貨バーツの下落から本格化したアジア通貨危機では、東南アジア諸国の経済が大きな打撃を受けました。以前、シンガポールやフィリピンについての投稿で言及したとおり、翌1998年にはASEANの原加盟国が5ヶ国ともマイナス成長に陥りましたが、それ程までの落ち込みは、1967年のASEAN結成以来、今までのところ後にも先にもこの時だけです。

前にも述べたように、そもそもASEANは、欧米の強国や共産主義陣営を前に、単独では対抗しがたい…政治的に弱い国々が集まって結成された、という面がありました。しかし、ここへ来て、一国ごとの経済的な脆弱性に対しても危機感が募り、その補強に向けた新たな動きが見られだします。

具体的には、まず対外面では近隣諸国との連携強化が図られ、例えば日本と中国、韓国の北東アジア3ヶ国も交えた「ASEAN+3」の枠組み(首脳会議など)が始動します。そうして2000年には、各国の外貨準備を元に参加国間で通貨を融通しあう取り極めにも合意されました(チェンマイ・イニシアティブ)。

一方、ASEANの内部でも、加盟国間の繋がりを強めるべくASEAN共同体の構想が取り沙汰されてきたなか、AEC (ASEAN Economic Community) の創設も新しく決まり、2003年に(第二)バリ宣言として採択されました。これによって、前回ふれた1990年代前半からのAFTAよりさらに進んだ経済共同体の構築が目指されることになります。

そこで示されている将来像として、①貿易の自由化や②投資、資本移動の自由化、そして③労働移動の自由化、といったことがあります。つまり、(AFTAをはじめ)以前から続けてきた①だけでなく、②により加盟国間で資金を動かしやすく、また③によって働き手が他の加盟国で就業しやすくすることも、目標に付け加えられました。

このうち①に関して、とりわけ物品の貿易では、関税や、その他の障壁の撤廃へ向けて一定の進展がこれまでに見られてきました。この点、従来は、外国との取引に際し、輸入品に関税をかけて国内での価格を上げたり、あるいは、一定の数量までしか輸入を認めず国内の流通量を制限したりして、国産品を保護する政策なども採られてきました。こうした措置をなくして、少なくともASEANの域内では、全体で一つの国であるかのように、国内取引と同じく自由に交易できるようになることが、その究極的な形でしょう。なお、世界の他の地域でも同様の貿易圏が形成されてきており、前回に挙げたNAFTAが一例です。

他方、①の関連でも(物品の取引とは異なり)サービス取引の自由化や、先述の②、③については、ASEANの宣言や文書でこそ度々とりあげられてきたものの、実態としてそこまでの進展は見られません(※)。今度の共同体発足後、来年以降へ続いていく取り組みに期待されます。

 

※ もっとも、ASEANにおいては、例えば加盟国間で人が自由に移動できるEU(欧州連合)のような形を目指している訳ではなく、そうした例と、構想のベースでも違いがあることには留意が必要です。

 

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