ASEANの転回

投稿者: | 2015年12月9日

前回、1967年にASEANの結成された当時は、その背後に地政学的な要因が強く影響していた旨を述べました。第一に、1965年に独立したばかりのシンガポールはもちろん、マレーシアやインドネシアなど、国民国家として誕生から間もない加盟国も多かったなかで、各国政府が国内を安定させていけるよう、そして第二に、かつて欧米の強国に植民地化され(また、国によっては日本にも占領され)、なお眼前には共産主義の勢力も迫るなか、各国がより良く対処していけるよう、ASEANという枠組みが多少ともプラスに働くことを期待されていました。

とはいえ、前回もふれた通り、当初のASEANは、加盟国の外相ほか政府高官が時おり集まって会談等を行うフォーラムのような場に過ぎず、それも、大統領など各国のトップが一堂に会して初の公式首脳会議(サミット)を開かれたのは、1976年になってからです。さらに、第2回の首脳会議こそ翌1977年にありましたが、続いての第3回目は1987年の開催と、その間に十年もの月日が流れ、前回の投稿で名を挙げた幾つかの長期政権のうち、フィリピンでマルコス政権が倒れてコラソン・アキノ(現アキノ大統領の母)が大統領に就任した翌年のことでした。

このように、近年のASEANと比べれば細々とした活動状況だったものが、1990年代へ入った頃から大きく変化していきます。具体的には、例えばベトナムなど域内の共産主義国も加わって加盟国の数が増えたことは以前に言及しましたが、その他、ASEANの活動領域も顕著に広がりだしました。というのも、年月の経過とともに(1960年代のASEAN結成当時よりは)国家として安定してきた加盟国が増え、何より冷戦も終結したことで、政治・安全保障上のASEANの意義が薄らいできた一方、世界の他の地域へ目を向けると、米州では NAFTA (North American Free Trade Agreement) が成立して国を越えた貿易圏が形成され、欧州でも EU (European Union) 発足へと地域統合の動きが進んできていました。そうした背景により、この東南アジアでも AFTA (ASEAN Free Trade Area) に合意されるなど、従来の政治・安全保障から次第に経済面への関心がいよいよ強まってきます。(※)

こうしたなか、1990年代後半のアジア通貨危機を経て、2000年代に入りASEANでも域内の連帯へと一層の深化が目指されていく訳ですが、ひとまず今回は一旦この辺で。

※ FTA (Free Trade Agreement / Free Trade Area) 等に関連して、もう少し次回に説明を加えます。

 

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