依存的な存在と、その社会コスト

投稿者: | 2015年11月21日

前回の末尾で、農業に関連して、他へ依存しない自立的な存在の割合を増やしていくことにふれましたが、それは、今まで産業ごとで広く見てきたように、より細かく個人レベルで見ても同様に言えます。

依存的な人々として、これまでに当サイトで挙げたなかでは、例えば無職の主婦が該当するでしょう。未就学児を育てていたりする間ならともかく、それ以外の時期も自分で稼ぐことなく、夫の収入に頼って生活しているケースなどが正にそうです。こうした主婦の場合、配偶者への私的な依存だけでなく、日本の公的制度へも大いに依存してきました。具体例としては、以前、国民年金の第3号被保険者制度に言及しましたが、そうした一般的なものだけでなく、扶養者たる配偶者を早く亡くした際に受給の可能性が生じる特殊な年金でも、(主夫と比べても)主婦には支給条件が緩くなっていたりします。

ただ、こうした主婦の依存にかかる社会コストは、前々から変わらずあったものです。他方、それ以外に、ここ数十年でコストが急増し、今後もなお膨らみ続けていきそうなのが、別の依存的な存在-高齢者に関わるものです。年金はもちろん、このところ膨張し続けている国民医療費も、そのうち老人医療費の増加率が特に高いようです。以下、この高齢化に伴う問題を個別に見ていきます。

その前に、ひとまず基本事項を確認しておくと、日本では高齢者(65歳以上)の人数が今や人口の25%に達しており、これは世界的にもきわめて高い割合です。近年、日本の公的債務の残高がGDPの倍を超えて更に増え続けているのも、この影響が強いように見えるものの、高齢者の割合それ自体より大きな原因が別にあります。

はじめに、社会保険のうち年金についてですが、これには積立方式賦課方式に大別される、二つの方式があります。積立方式とは、その名の通り、例えば20歳の時から60歳になるまで保険料を払い、その間に払い込んだ(積み立てた)総額をベースに、60歳へ達してから毎月幾許かの金額を受け取っていく、というものです。この仕組みで機能させられていれば、現在の少子化も何ら問題になることなく、むしろ懸念材料は数十年で一気に長寿化が進むような場合でした。

しかし実際は、今の高齢者へ、(平均的に見て)かつて現役時代に負担してきた保険料等の総額を大きく上回る年金等の支給を予定し、概ねその通り給付し続けてきたことで、積立方式では立ち行かず賦課方式しかなくなり、現役世代が払い込んでいる分を今の高齢世代へ使う形になっています。

少子高齢化で高齢者ばかり増えて出費が膨らんでいくなか、結局、現役世代は、2001年より30年程かけて徐々に年金の支給開始年齢を60歳から65歳へ延ばされることが決まり、現在、段階的に移行中です。支給開始年齢が遅くなっても、それだけ年金の額が上積みされればまだ良いですが、そうした対応は無く、現役世代からすれば、年金として受取を期待できる総額が減りました。

他方、その移行前に年金を受け取りだしていた高齢世代へは減額などの措置も無く、結果として、高齢世代の権益は手厚く守られる一方、それに伴う「痛み」を専ら現役世代と将来世代へ押し付けている状態です。
次回、もう少し続けて高齢者の関連で年金以外の問題にもふれたうえで、これから求められてくることへ考えを巡らせていきます。

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