前々回の投稿で最後に記した通り、東大ほか旧帝大の卒業生に何が期待できるのか、今回その再検討を少し試み、当サイトのスタンスとしてもここで明らかにしておきます。
巷では、「東大卒社員は使えない」とか何とか、旧帝大など高学歴社員の有能/無能を題材にした記事等が、昔から時おり見かけられてきました。題として注意を引きやすいという事情もあるでしょうが、それ以外にも相応の理由がありそうです。以下、考えられそうなことを幾つか挙げていきます。
1. コミュニケーション能力の問題
個人差も大きいはずなので一概には言えませんが、全体としてコミュニケーション能力が実際に低めなのかもしれません。東大をはじめとする上位の大学では、大学生にふさわしい高いレベルの選抜試験が課されるため、志願者は、それへ通れる程度には学力を磨いていなければなりません。となれば、一般論として、中学生や高校生でいる間に相当の勉強をしておく必要があり、それなりの時間が注ぎ込まれてきていることになります。
この間、他の中高生が、テレビかインターネットでバラエティやコントを見て話術にふれ、あるいは、友達と連れ合って雑談力を磨き、また、LINE、Facebookやオンライン・ゲームで迅速な応答力を鍛えてきていたのに対し、東大などの合格者はと言えば、多くの場合、そうしたことに費やす時間はずっと少ないものだったはずです。鍛えに鍛えた知的能力とは違って、コミュニケーション関連の能力は、他の人ほど高めてこられなかったとしても不思議ではありません。
2. 学力の問題
学力そのものが、それほど大したものではない、というより、大したものでなくなっている可能性もあります。仮に、大学を受験した時点では日本のベスト&ブライテストと言って良い水準の知的能力があったとしても、それから卒業までの間に4年は経過している訳です。その間の過ごし方次第では、少なからずレベル・ダウンが生じることも考えられます。
この点、知的プロフェッショナルの世界ではなくスポーツ界の話になりますが、例えば高校野球の甲子園大会の優勝投手などをイメージしてみるのも良いかと思います。決勝戦で敗れた投手が、高校を卒業すると直ちにプロ野球の世界へ入って自らを鍛え抜き、後にメジャー・デビューまで果たす一方、優勝投手の方は、高校から大学へ進学して、その卒業後にプロ入りするものの、日本国内のリーグでさえ前者ほどに活躍できていない、といったような話も聞きます。実際もし両名とも同じ進路を選んでいたらどうなったか分かりませんし、かつ、この一例だけで一般化はできませんが、それでもなお、18歳から後の期間で、逆転も、そのうえ更に差をつけていくことも充分可能、と窺える象徴的な話ではないでしょうか。
翻って、いかに東大生でも、在学中の4年間からの使い方次第では…まして、もっと長い大学卒業後の生活でも不勉強な日々を過ごしていれば、結果としてどうなるか自ずと見えてきましょう。
3. 他方の問題
最後にもう一つ、そうした高学歴社員を「使えない」と言っている社員自身が実は本当に使えないケースも考えられます。そもそも、(出身大学によって初任給も違ったそうな戦前と異なり)今日の日本だと、大卒でさえあれば何れの大学を卒業していても同様に遇するのを基本としています。しかしながら、先日にも述べた通り、今では相応の学力が身についていなくても中学、高校を卒業でき、そうした高卒者でも、一部の上位校を除き多くの大学で受け入れられる、というのが大勢になっています。
先ほどの逆転云々の話に関しても、相手が準優勝校クラスの…例えば東大卒社員に対して言うと他の旧帝大、旧官立大クラスの大卒者なればこそ現実的にもなるでしょうが、同じ「大卒」でも実力は中高生程度しかない中下位校の大卒者だったりすると、もとより問題にならないことも少なくありません。もし、そういった「大卒」社員の所へ高学歴の部下が配属されてきたような場合には、使う方の能力不足ゆえに「使えない」のも当然でしょう。
こうしたケースでも、部下の、自分より秀でた強みは強みとして、それを活かして采配できるような精神の備わった上司であれば特段、問題はないと思いますが、一方、知性だけでなくその辺りの人間性にも問題がある上司であれば、いよいよ本当に「使えない」ことになってきます。