1. ソニーの創業者
前回に続ける形で、はじめに東京通信工業株式会社(現・ソニー株式会社)の共同創業者、盛田昭夫氏へ焦点を当てます。他に同社の共同創業者として有名な井深大氏が主に技術面を担当したのに対し、氏は主として営業を統括し、後年「世界のソニー」とともに「世界のセールスマン」とも称されたとか。
氏に言及した理由は幾つかありますが、一つ大きな点として、大阪帝国大学(理学部)を卒業していることが挙げられます。ソニーや、同時期の例では本田技術研究所(現・本田技研工業株式会社)など、終戦まもなく起業して大企業へ成長させていった創業者たちの間で、旧帝大卒というのは珍しい方です。また氏には、終戦まで技術士官としての軍務経験こそあれ、本格的にビジネスへ携わった経験はなかったものと見られ、創業時は今の第二新卒に近かった点も、少し気になります。とはいえ、ここではまず前者(旧帝大卒)へ注目しておいて、以下に続けていきます。
2. 旧帝大の卒業生と、戦後のモデル
そもそも戦前から、旧帝大の筆頭格たる東大-もともと官僚養成機関としての性格が強かった法学部をはじめとする卒業生たちは、確立された組織へ入って、その中で活躍することを期待し、かつ期待されていたと思われます。
いずれにせよ、戦後の混乱期も過ぎ、日本経済の成長路線が軌道に乗ってくると、いよいよ官公庁かエスタブリッシュメントの企業へ就職し、その組織内での昇進を目指すのが主流に、また合理的でもあるようになってきます。こうした傾向は、官民相互の関わり合いが強い規制産業(例.銀行業)で特に顕著でしたが、ともかくも経済成長が持続し、社会が発展していた間は、それも良く機能し得たはずです。
つまるところ、旧帝大のような大学では、公務員か銀行員などが一つの理想的な将来像として広く学生の間に定着していきます。こうなってくると起業などは言うに及ばず、多くの場合、創業から間もない新興企業等への就職さえ、思いもよらないものとなるでしょう。
3. 戦後モデルの終焉
ところが、高度経済成長も終わって1990年代へ入ると、長信銀など大手銀行の破綻や、大企業での整理解雇(リストラ)から、年功序列と終身雇用制に象徴される就労上の神話が崩れてきました。その後も、総じて日本の伝統的企業はかつて程の栄華を取り戻せないまま、他方、高齢化が止まらず財政赤字の続く政府部門でも公的債務が膨らんでいくばかりで、以前のように公務員、銀行員等を理想像とする人も流石に減ってきています。
そうした流れの下で、卒業後の進路として描かれる将来像はどのように変わってきており、また今後どうなっていきそうか興味深いところですが、今回は一旦この辺で。
※ 今日の参考文献: 盛田昭夫(1987)『Made in Japan: わが体験的国際戦略』(下村満子 訳)朝日新聞社。