シンガポールとフィリピン、日本の盛衰 (2)

投稿者: | 2015年8月21日

フィリピンも、今を時めくシンガポールのようになれる-前回の投稿でふれた記事(※※)には、そのための5つの条件が述べられていました。このうち最初に挙げられていたのがメリトクラシーで、続いて、政治的な腐敗問題がありました。

まず、メリトクラシーとは日本語でいう「能力主義」ないし「実績主義」と近く、記事によると、このメリトクラシーに関して最も重要なのは、人の運命が、生まれによって決定づけられないことです。フィリピンの首都マニラのスラム街に生まれた人は、富裕層も多い中心街に生まれた人と比べ、将来に成功できるチャンスはずっと少なくなりがちです。しかし、そうした人でも自らの優秀さを示す機会が得られて、より多くの才人が社会的に引き立てられ、活躍するようにできるか、がポイントになります。

次に腐敗に関してですが、フィリピンなど東南アジア諸国では経済発展も遅々として進まなかったなか、その阻害要因によく挙げられ、件の記事でも言及されているのがクローニズムです。クローニズムとは縁故主義に似て、例えば官公庁で職員を雇う際、幹部の縁戚や知人ばかり就職してくる状況が思い浮かびます。前述のメリトクラシーの下では、候補者本人の実力と実績を元に採用が決定されるのに対して、クローニズムの下では、(能力が低くても)大臣の友人の家族だからという理由で選ばれる、といったイメージです。

人材登用の面の他に、例えば政府予算の絡んだプロジェクトで、政治家が公共の利益よりも自分の支持者など特定の人々の私的利益を重んじ、自分の取り巻きに厚く利益が分配されるよう動き回る場合も該当するでしょう。これでは、スラム街で生まれた人も機会を与えられるどころか、中心街に住むファミリーへさらに多くのチャンスが集中していくばかりにもなりかねません。

一方、昨今の日本にあっても、あまり他人事ではない状態へ変わってきている気がします。例えば国政の世界で言うと、自民党政権でも昭和時代の内は、旧帝国大学を卒業し官界を経て国会議員となり、後に総理大臣にまで就いたアカデミック・スマートや、事業で身を立ててから政界へ入り、やはり総理大臣にもなったストリート・スマートなど、メリトクラシーの性質がまだ残っていたと思います。ところが平成、とりわけ戦後50年が過ぎ政権奪回してからの自民党政治で総理大臣に選ばれるのは、いわゆる世襲議員ばかり目立ちます。そうして「生まれ」が物を言うのは、今回とりあげてきた問題の典型的な病状に見えます。

また、政界とは違う一般市民のレベルでも、優秀ならば貧しくても進学でき、大学を卒業してから世に出るといったことが、これまでの大学授業料等の値上げ、教育への公的支出の絞り込みによって、以前より厳しくなってきました。他方で、大学が増え、資力さえあれば学力は低くても進学できる割合も高まってきたなか、本人の能力より、生まれついた家計のゆとり次第という面が強まってきているようで、この点も懸念されます。

日本で「失われた10年」、「失われた20年」などと嘆かれだして久しいですが、もしそれが、上に述べてきたような国内の変化と繋がっているものだとしたら、衰退すべくして衰退しているだけのことで、この先も、(失われた)30年、40年と、ただ年数が増えていくだけかもしれません。

※※ Ayee Macaraig, “SG50: ‘Philippines can succeed like Singapore'”, Rappler, http://www.rappler.com/world/specials/southeast-asia/101784-sg50-philippines-lessons-singapore (2015年8月20日 アクセス)

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