これまでASEANの大学をとりあげてきましたが、東南アジア諸国(と日本)の大学進学へのスタンスを比べてみると、幾つか興味深い点が見えてきます。そこで今回、まず最高学府での教育への公的支出という観点から、そうした国々の特徴を整理していきます。
手始めにマレーシアでは、マレー系の国民と比較的豊かな中華系との経済的格差を背景として、前者も良質な高等教育を受けられるようにしていくことが、従来、マラヤ大学をはじめとする国立大学の重要な役割として期待されてきました。そのため、こうした大学では学費も抑えられています。
これと同様に言えるのがフィリピンで、同国では、富裕層が子弟を通わせるのに好まれるアテネオ・デ・マニラ大学ほか有力私立大学に対し、大学教育にふさわしい高学力の生徒ならば一般家庭からでも大学へ進学できる、その受け皿となってきた筆頭格がフィリピン大学です。同校では、家計の状況に応じて各学生の授業料等が調整されるシステム(Socialized Tuition System)を設けています。
フィリピン大学の場合、この経済的格差の軽減に加え、地理的格差の緩和も図られていることは、前回の投稿でふれた通りです。
その一方、タイでは少し様子が異なり、このような類の政策的配慮は先述の両国ほど見受けられません。
以前、チュラロンコン大学についての投稿でインターナショナル・プログラムの費用を具体的に挙げましたが、タイ人ならば外国人留学生より授業料等も多少は安くなりますし、そもそも、英語でのインターナショナル・プログラムではなくタイ語による通常の課程であれば、さらに学費を低く見込めるものの、それでもやはり、こうした大学で学ぶ資金を賄えるかどうか、各家庭の経済力が及ぼす影響はマレーシアやフィリピンより大きそうです。
翻って、日本の大学のことを考えてみると、かつては国立大学が、マラヤ大学やフィリピン大学と似た働きをしてきましたが、特に1970年代以降、上で言えばマレーシアやフィリピンよりむしろタイと近い形へ変わってきたように思います。
具体的には、1970年で年額12,000円だった国立大学の授業料は、1980年には年額180,000円と、実に15倍へ増えました。当時は今より物価の高騰が顕著で、私立大学の授業料も軒並み値上げされたようですが、国立大学の授業料の上昇率よりは段違いに低く、1970年時点では6倍以上だった私立大学と国立大学の授業料の格差が、1980年までに2倍程度へ縮まりました(※)。
なお、そうして教育への公的支出を絞りだしたこの時期から、他方で、「福祉元年」の言葉に象徴されるような、年金や老人医療など社会保障(特に高齢者福祉)への支出を拡大してきた訳ですが、その話はまた改めて。
※ ちなみに、この格差の倍率は、それからも(1970年代よりは緩やかながら)前世紀末に1.6倍へ達するまで縮小し続け、その後、国立大学の授業料が年額535,800円へ増えた2000年代半ば以降ここ10年ほどは金額も変わらずにきましたが、最近、私立大学並み(倍率 1倍)への引き上げを目指して財務省がまた画策し始めたそうです。